スティーヴ・ウィンウッドの誕生と幼少時代
スティーヴン・ローレンス・ウィンウッドは1948年5月12日、ロンドン北西部に位置するバーミンガム州の郊外で誕生した。父ローレンスはセミプロのミュージシャンで、仕事のかたわらでバンド活動にも熱心だったようだ。彼はサックスとクラリネットをメインでプレイしていたが、時にはドラムスやベースを担当することもあった。母リリアンとは第2次大戦の開戦直前に結婚、43年6月15日に生まれた長男のマフ(マーヴィン)を含む家族4人は、バーミンガム州キングスタンディングの、アトランティックロード沿いにある小さいながらもテラスつきの快適な家で暮らしていた。
音楽好きの父の影響でウィンウッド家にはたくさんの楽器があった。居間にはアップライトピアノが置いてあり、ガレージにはドラムキットやダブルベースもあった。両親は子供達に音楽を強要することはなく、兄弟は自然と音楽や楽器に慣れ親しんでいったようだ。スティーヴ・ウィンウッドはわずか4歳でピアノを弾き始めるが、口笛で吹けばどんな曲でも即興で弾くことができるのを聴いて、マフや両親たちは非常に驚いたという。またギターにも早くから興味を示し、兄のギターを奪ってはどうやって弾くかを指南していたという。
マフは当時を振り返りこう語っている。「スティーヴは7歳くらいだったと思う。ある時僕のギターを手にとって、『こうやって弾けばいいのさ!』と言ったんだ。そして実際に演奏して見せてくれたわけさ。『そんなばかな!』って思ったね」。スティーヴ・ウィンウッドはやがて自分のギターを手に入れて、兄と二人でさまざまな曲をプレイし始めたのだった。
父や兄のバンドでプレイ
ウィンウッドの家系には音楽に携わる人が多かった。時には音楽の夕べが催され、兄弟は大人たちと一緒に演奏に参加した。結婚式や誕生日には親戚が集まって、サックスやトランペットを吹いたりピアノを弾いたりして、家族全体でひとつのバンドができ上がっていたという。スティーヴ・ウィンウッドは音楽に満ち溢れた環境に育ったわけだが、ステージで演奏したのも比較的早い時期からだった。父のダンスバンドで兄と一緒にギターをプレイし始めたのは、スティーヴが10歳にも満たない頃でまだ半ズボン姿だったという。50年代のポップススタンダードに加え、当時流行っていたシャドウズやクリフ・リチャードの曲も演奏したようだ。
父のバンド以外にもマフのスクールバンドや、60年代に入って兄が結成したマフ・ウッディ・ジャズ・バンドでピアノを担当していた。スティーヴ・ウィンウッドはギグにも出演したが、労働基準に達していなかったので、ピアノの後ろに隠れるようにして演奏していたという。またスティーヴは、7歳から13歳にかけて地元教会の合唱団に所属しており、教会のオルガンを弾いたりもした。またある時期にはクラシックピアノのレッスンも受けていたが、基本的に楽器は耳コピで演奏していたため楽譜を読むのは苦手だったらしく、レッスンはあまり長続きはしていない。
スティーヴ・ウィンウッドは59年公開の映画 "Jazz On Summer's Day" のサウンドトラックに大きな影響を受けたほか、当時流行していたスキッフルや、エルヴィス・プレスリー、ファッツ・ドミノ、リトル・リチャードなどの音楽をラジオでエアチェックしては、兄と一緒に演奏していたようだ。スティーヴにヴォーカルの興味を抱かせたレイ・チャールズも、当時大きな影響を受けたミュージシャンのひとりだった。
スペンサー・デイヴィスとの出会い
スティーヴ・ウィンウッドがプロミュージシャンとしての第一歩を踏み出すきっかけは、スペンサー・デイヴィスとの出会いに始まる。スペンサーは42年7月17日サウスウェールズのスワンシーに生まれた。二人が出会ったのが62年で、スペンサーがバーミンガム大学で学業に励むかたわら、地元のパブ、ゴールデン・イーグルでフォークやブルーズを歌っていた頃のことだ。マフ・ウッディ・ジャズ・バンドでプレイするスティーヴに惚れ込んだスペンサーは、すぐにウィンウッド兄弟にバンドを組むことを提案し、二人もこれに賛同した。
ドラマーのピート・ヨーク(42年8月15日、イングランド北西ミドルスバラで誕生)を加えた4人は、63年4月スペンサー・デイヴィス・R&Bカルテットを結成。スペンサーとスティーヴ・ウィンウッドがギターとヴォーカルを分け合い、スティーヴはキーボードとハーモニカも担当し、マフはギターからベースに転向した。彼らは地元のパブなどで精力的な活動を続けて人気を博し、翌年2月には地元のバーミンガム・タウンホールで開催されたファースト・R&Bフェスティヴァルに出演、ロング・ジョン・ボルドリーやヤードバーズ、サニー・ボーイ・ウィリアムスンらとの共演も果たした。この時の模様は "Winwood And Friends" などで聴くことができる。
カルテットはこの頃から英国各地でのギグに出場するようになり、実力と人気をより確実なものにしていったが、一方で当時まだ16歳で学生だったスティーヴ・ウィンウッドは、その影響で学校から放校処分を言い渡されたのだった。「全校の前に呼び出されて問い正されたんだ。ぼくを見せしめにするのが学校側の目的だったんだよ。それでなければもっと友好的な方法だってあったはずさ」とその当時を振り返っている。