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スティーヴ・ウィンウッド・ストーリー

トラフィック結成

スペンサー・デイヴィス・グループを抜けたスティーヴ・ウィンウッドは、67年初頭にトラフィックを結成、メンバー4人はバークシャー郊外アストン・ティロードにあるコテージに集まりセッションを開始した。田舎で共同生活をしながら曲作りやリハーサルを試みたのは、トラフィックが最初のバンドだった。ドラムスを主に担当するジム・キャパルディは、44年8月24日ウスターシャのイヴシャムで誕生。トラフィック結成以前はヘリオンズやディープ・フィーリングでプレイしていた。イタリア系の血を引く彼はバンド内のムードメーカー的な存在で、スポークスマンとしての役割も兼ねており、「トラフィック」というバンド名を考案したのもジムだった。またソングライティングのベストパートナーとして、スティーヴとの交流は今でも続いている。

吹奏楽器奏者のクリス・ウッドは、44年6月24日バーミンガムのハーボーンで誕生、途中からディープ・フィーリングに加わりフルートをプレイしていた。寡黙な性格だったが音作りに対する情熱は人一倍強かったようで、「トラフィックの音楽を最も真剣に考えていたのはクリスだった」と後年スティーヴ・ウィンウッドは述べている。ギターやピアノなどもこなすマルチプレイヤーだ。45年5月10日ウスターシャに生まれたデイヴ・メイスンは、トラフィックのもうひとりのキーパースン。61年にジャガーズを結成しリードギターとヴォーカルを担当、その後ヘリオンズでジムと共演している。曲作りを単独で行うタイプのデイヴはバンド内ではやや孤立した存在だったようで、その違いは当時のアルバムに収録された曲を聴けばよく分かる。

4人は都会の喧噪から逃れた長閑な田舎で、気ままにセッションをしながら新作のレコーディングを開始、まもなく "Paper Sun" でシングルデビューを飾った。67年暮れにはトータル性を重視したファーストアルバム "Mr.Fantasy" を発表、翌年にはバンドと同名のアルバムをリリースして高い評価を受ける。しかし69年の "Last Exit" を最後にバンドは明確な解散宣言をなくして活動を終えた。

TRAFFIC
TRAFFIC
TRAFFIC

トリオのパフォーマンスとツアー

かつてスティーヴ・ウィンウッドが歌う "Dimples" を聴いた時、ジムは「あれは誰か黒人が歌ってるのだと思っていたが、16歳の白人の少年だと知った時はおったまげたぜ」と語っている。ジムが初めてスティーヴに会ったのは66年の中頃で、セッションなどをするうちに意気投合し、バンドを結成するにいたったようだ。トラフィックはスティーヴのワンマンバンドではなく、メンバー全員の個性を尊重した音作りが基本で、ヴォーカルもスティーヴとデイヴが分け合い、曲作りにおいてもバンドカラーが濃厚だ。当時のスティーヴも自分が中心になるというより、バンドとしての方向性を指示していたようだ。

デイヴが脱退と再加入を繰り返していたこの初期トラフィック時代は、アルバムは4人で制作していたが、ツアーはデイヴ以外のトリオで行われることが多かった。スティーヴ・ウィンウッド、ジム・キャパルディ、クリス・ウッドの3人はかなり馬が合っていたようで、英国ツアーの時にスタッフはホテル滞在だったが、3人はランドローヴァーを "生活拠点" にしてツアー会場を巡っていたという。朝はコンロで卵を焼き紅茶を入れて始まり、路上駐車を誰かに注意されると、荷物を慌てて積み込んで別の場所へと移動した。ギグを終えた夜は、ジムはいかなる悪条件でも車内の寝袋でぐっすりと眠ったが、スティーヴとクリスは夜更けまで音楽を聴きながらドライヴを楽しんだ。ある時はストーンサークルを見るため、ギグ終了後の真夜中に散策に出掛けたり、明け方から昼の3時ごろまでビーチで眠りほうけたこともあったという。

短期間ながら初期トラフィックは充実した活動を続け、トリオでのコンサートはシンプルだが演奏を重視した密度の濃いものだった。スティーヴ・ウィンウッドはオルガンを弾きながらベースパートを足で受け持つのが常だったが、ギターに持ち替えた時もオルガンのバスペダルを同時演奏し、そのパフォーマンスは大きな注目を集めた。

TRAFFIC
STEVE WINWOOD
TRAFFIC

ブラインド・フェイス結成

69年初頭トラフィックの活動から離れたスティーヴ・ウィンウッドは、同じ頃にクリームを解散させたエリック・クラプトンからの誘いを受け、サリーにあるクラプトンの自宅で念願のセッションを開始した。その後ドラムスにクリームのジンジャー・ベイカーと、ベースにファミリーのリック・グレッチを加え、同年5月にブラインド・フェイスが結成された。メンバーは英国における数回のギグとアメリカツアー、そして英米でチャートの1位を獲得したアルバム1枚をリリースしたが、同年の終わりにあっけなく解散した。

まったく新しいスタイルでの音楽活動を望んだスティーヴ・ウィンウッドとエリック・クラプトンの意向に対し、クリーム再編を切望する聴衆とのギャップは大きく、そこから生じるプレッシャーによりバンドは短命のうちに終わったと考えられている。クラプトンは「スティーヴと二人でリハーサルを始めた頃はジャズっぽいサウンドだった。レコーディングを開始するとそのスタイルは徐々に変化し、デビューする前までには、バンド本来のコアの部分は完全に隠されてしまっていた」と語っている。またスティーヴも「僕はコロシアムのような大会場で演奏したくなかった。ある晩は最悪の演奏だったにもかかわらず、最高のパフォーマンスをやった時のような賞賛を受けた」と当時を振り返っている。

8週間のアメリカツアーを終えてからまもなく、メンバーはそれ以上バンド活動を続ける意志はなかったようで、69年の暮れ、スティーヴ・ウィンウッドとエリック・クラプトンはそれぞれ別のプロジェクトに移行した。スティーヴはベイカーが結成した大編成バンドのエアフォースに誘われ、ロイヤル・アルバート・ホールのライヴに出演。その後アイランドレコードの要請に応じて、ソロアルバム "Mad Shadows" の制作に着手するが、このプロジェクトは結果的にトラフィックの再編に繋がるのだった。

BLIND FAITH
STEVE WINWOOD
BLIND FAITH
BLIND FAITH
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