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スティーヴ・ウィンウッド・ストーリー

トラフィックの再編

トラフィックはデイヴを除く3人のメンバーにより70年に活動を再開、74年に再び活動を終えるまでに4枚のアルバムと2枚のライヴ盤をリリースした。メンバーの入れ替わりも激しく、ブラインド・フェイスのリック・グレッチや、デレク&ザ・ドミノスのドラマー、ジム・ゴードン、マッスル・ショールズのセッションミュージシャン、アフリカ出身のパーカッショニスト、リーボップ・クワク・バー、ゴンザレスのロスコ・ジーなどがコアの3人をサポートしていた。

再編成トラフィックは本国よりもむしろアメリカでの評価が高く、インタープレイを重視したジャズ色の濃いアルバム "The Low Spark Of High Heeled Boys" は、特にアメリカで好セールスを記録した。またフォーク色を強調した "John Barleycorn Must Die" も、間違いなくこのバンドを代表する1枚だ。その他にもアメリカ南部サザンソウル風の "Shoot Out At The Fantasy Factory" や、シンセサイザーを導入したジェントルな雰囲気の "When The Eagle Flies" など、トラフィックはプロジェクトごとに異なるサウンドを追求していった。一方デイヴはこの間に1度トラフィックに復帰しステージを共にしたが、基本的にはソロ活動がメインでソロアルバムも何枚かリリースしている。

ジムはこの時期にドラムスからヴォーカル重視のスタンスを打ち出し、72年にはトラフィックの活動と平行して初のソロアルバムを制作した。さらにクリスも、実現はしていないが自身のプロジェクトを考えていたようだ。スティーヴ・ウィンウッドのトラフィック外での主な活動は、アフリカ系ミュージシャンと組んだサード・ワールドというユニットで、アフロジャズ的な方向性を打ち出したアルバムを73年にリリースしている。また70年には英国のグロスターシャーに60エーカーに及ぶ広大な土地と邸宅を購入し、自宅スタジオ(ネザータークドニック・スタジオ)も設立している。

TRAFFIC
STEVE WINWOOD
TRAFFIC
JOHN BARLEYCORN MUST DIE
JOHN BARLEYCORN MUST DIE

病による活動休止とトラフィックの解散

再編成トラフィックの活動が盛んだった72年初頭、スティーヴ・ウィンウッドにとって人生のターニングポイントとなるような決定的な出来事が起こっている。マッスル・ショールズと共にアメリカツアーの真っ最中だったスティーヴは、ある時、体調不良を訴えてドクターにかかった。なかなか発見できない盲腸炎がその原因だったが、処置が遅れたために毒素が体内に蔓延し腹膜炎を患ってしまった。

本国に戻ったある日、非常に危険な状態で病院に担ぎ込まれ緊急手術を受けたのだった。一時は死をも覚悟させたこの病は、スティーヴ・ウィンウッドのそれまでの不規則な生活を一変させた。それ以来、毎日3マイルを歩くようになり、規則正しいライフスタイルを心がけるようになったという。「この時を境に現実を見据えるようになったんだ。15の時から身の回りのことは全て周囲がやってくれて、今どこにいるのか、今日が何曜日なのかも分からないままツアーを続ける生活は、はっきり言って尋常じゃなかったよ」とスティーヴは回想している。

トラフィックは74年の末に解散を発表、最後のパフォーマンスは同年8月の英国レディング・フェスティヴァルで、ちょうどその頃には来日公演も予定されていたが、これもキャンセルになっている。解散後はソロアルバムを制作するだろうというメディアの期待に反し、スティーヴ・ウィンウッドは数年間は目立った音楽活動をしなかった。またジムはその後もソロアルバムの制作をコンスタントに続け、76年にはシングル "Love Hurts" をヒットさせている。一方クリスはその後、アルコールとドラッグ中毒に陥り、やがて肝臓を患い83年の7月バーミンガムで39年の生涯を終えた。

TRAFFIC
STEVE WINWOOD
TRAFFIC
TRAFFIC ON TOUR

セッション活動とGOへの参加

トラフィック解散後のスティーヴ・ウィンウッドは、自らのプロジェクトよりも多数のミュージシャンとのセッションを通じて、さまざまな音楽を吸収することに専念していた。交流のあったミュージシャンには、日本人パーカッショニストのツトム・ヤマシタを筆頭に、元ボンゾ・ドッグ・バンドのヴィヴィアン・スタンシャル、女流フォークシンガーのサンディ・デニー、レゲエのトゥーツ&ザ・メイタルズ、それにサルサバンドのファニア・オール・スターズなどが挙げられる。

その中でも特にツトム・ヤマシタが主催するGOプロジェクト(写真)への参加は意義深く、リリースされた2枚のアルバムには自作曲も含まれ、久々にステージにも登場してヴォーカルやオルガンを披露した。GOのメンバーにはサンタナのドラマー、マイケル・シュリーヴや、タンジェリン・ドリームのクラウス・シュルツらがいた。

スティーヴ・ウィンウッドは「あのプロジェクトは本当に素晴らしかった。議論を闘わせることもなく良い雰囲気で仕事をすることができた。それ以前はソロアルバムを制作する自信がなかったんだ。素材は沢山あったんだけど、それ以上自分を強いて発展させることができなかったんだ」と語っている。そしてGOへの参加をきっかけにスティーヴは自らの活動を再開、76年の後半にはソロアルバム制作の準備に取りかかった。

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