HOME > BIOGRAPHY
STORY1 | STORY2 | STORY3 | STORY4 | STORY5 | BOOKS

スティーヴ・ウィンウッド・ストーリー

バック・イン・ザ・ハイライフ

スティーヴ・ウィンウッドのソロデビューの出足は順調とはいえなかった。自らの名前を冠した初のソロアルバムは充実した内容の佳作ではあったが、77年のパンク全盛期にリリースされた当時、ほとんど正当な評価を受けることはなかった。しかしこのアルバムの商業的な失敗は次作への奮起を呼び起こし、80年には名作 "Arc Of A Diver" を発表して高い評価を得てプラチナディスクを獲得、シングル "While You See A Chance" は全米7位のヒットを記録した。このアルバムはマルチプレイヤーのスティーヴが、英国の自宅スタジオでプロデュースやエンジニアリングも含め、完全なる単独作業で録音した作品だ。作詞家ウィル・ジェニングスとの新たなコラボレーションも含めて、スティーヴのソロ活動におけるターニングポイントとなる1枚だった。

しかし同じ方法で制作した次作 "Talking Back To The Night" が予想外のセールス不振に終わり、ソロアルバムを制作する意義を見失ったスティーヴ・ウィンウッドは、プロデューサーへの転身を考えた。そんなスティーヴにもう一度自信を取り戻させたのは兄のマフだった。マフはミュージシャンとしてのキャリアを続けることを勧め「おまえは今37だ。もし今プロデュース業を開始して、例えば4年後にソロアルバムを制作したい、と思いついたとしてもすでに42だ。それは今以上に困難なことだぞ」とアドバイスした。絶大なる信頼を寄せる兄の言葉に従い、スティーヴはもう一度ソロアルバム制作に挑戦しようと決意した。

それまでの単独作業から一転し、アメリカで多くのミュージシャンを起用して制作したアルバム "Back In The High Life" は、スティーヴ・ウィンウッドのソロ作の中で最大のヒットを記録する出世作となった。シングル "Higher Love" は初の全米ナンバーワンヒットを獲得、さらに86年のグラミー賞6部門にノミネートされ、うち3部門を見事勝ち取った。アルバムタイトル通りスティーヴはまさにハイライフを取り戻したのだった。

STEVE WINWOOD
PLATINUM DISC FOR
"ARC OF A DIVER"
STEVE WINWOOD
GRAMMY AWARDS
BACK IN THE HIGH LIFE
BACK IN THE HIGH LIFE

ユージニアと結婚、4人の父親に

77年のソロデビューから86年に大成功をつかむまでの間には、私生活においても大きな変化があった。スティーヴ・ウィンウッドは78年にクリスの妻の紹介により、ロサンジェルス出身のニコル・タコットと結婚した。しかしこのめぐり合わせは成功だったとはいえず、都会派の彼女とカントリー派のスティーヴの生活スタイルの違いは、二人の間にはしっくりいかない問題を生み出したようだ。結局スティーヴは86年の末にニコルと正式に別れ、翌年の1月、テネシー出身のユージニア・クラフトンと再婚した。

二人はジュニア・ウォーカーの公演が行われたニューヨークのローン・スター・カフェで始めて出会い、スティーヴ・ウィンウッドの一目惚れでその日のうちにダンスパーティに誘ったようだ。ユージニアは結婚した当時まだ大学生で、スティーヴとの年齢差も大きかったが、カントリーライフを好むという点も含めその相性は抜群だった。まもなく最初の娘メアリ・クレアがナッシュヴィルで生まれ、88年には二人目の娘エリザベス・ドーンが誕生、そして93年には息子のスティーヴン・カルーンが、さらにその翌年には3人目の娘リリアン・ユージニアが誕生。現在は4人の父親になっている。

80年代後半、公私ともに充実していたスティーヴ・ウィンウッドは20年以上も在籍していたアイランドレーベルを離れ、新たにヴァージンレコードと契約、88年にアルバム "Roll With It" をリリースした。この作品とシングルカットされたタイトルナンバーの両方は、リリース後まもなく全米チャートのトップを獲得、前作に引き続き大きな成功を収めた。スティーヴの25年間という長いキャリアの中で、アルバムが全米チャートのナンバーワンを獲得したのは、ブラインド・フェイス以来で、ソロとしては初の快挙である。またこのアルバムではかつての僚友ジム・キャパルディと久々に1曲を共作し、その2年後の90年のソロアルバム "Refugees Of The Heart" でも再びペンを共にすると同時にレコーディングにも招いた。

STEVE WINWOOD
STEVE AND GENIA
STEVE WINWOOD
ON TOUR 1988
ABOUT TIME
ROLL WITH IT

ウィンクラフト・ミュージック設立

94年スティーヴ・ウィンウッドとジム・キャパルディは20年ぶりにトラフィックを再結成させ、アルバム "Far From Home" をリリースし往年のファンを大いに喜ばせた。「トラフィックはこの1作限りのプロジェクトじゃない。ツアーもやるしまたアルバムも作るつもりだよ。僕はソロよりもバンドでプレイするほうが好きなんだ」と、スティーヴは未来の豊富を語っている。トラフィックは04年にロックンロール殿堂入りを果たし、久しぶりにデイヴ・メイスンを加えたメンバーでセレモニーに登場し、スティーヴは喜びのコメントを表明した。

ソロ作のほうも97年に第7作にあたる "Junction Seven" をリリース。プロデュースにナラダ・マイケル・ウォルデンを起用、キューバのミュージシャンを招いてサルサ風のナンバーを収録するなど新しい音楽的展開を見せており、これは98年夏のティト・プエンテスとアルトゥーロ・サンドバル率いる、ラテン・クロッシングのヨーロッパ・ツアーへの参加に繋がった。アルバムリリース後、ヴァージンとの契約を終わらせたスティーヴ・ウィンウッドは、02年の秋に自身のレーベル「ウィンクラフト・ミュージック」を設立した。

レコード業界からのさまざまな制約に縛られることなく、クリエイティヴな面をより追求していくことのできる体勢を整えたスティーヴ・ウィンウッドは、03年に6年ぶりのソロアルバム "About Time" を同レーベル第一弾としてリリースした。ラテン系のミュージシャンであるホセ・ネトとウォルフレート・レイズをメンバーに迎え、トリオによるスタジオライヴ録音にて生み出された本作は、数あるソロアルバムの中でも屈指の名作として高い評価を獲得した。

アルバムリリース後は、日本のフジロックフェスティヴァル参加も含め、ツアーのほうもかつてないほど精力的に行った。05年1月、ジム・キャパルディの悲報により期待されていたトラフィック活動再開は中止となってしまったが、スティーヴ・ウィンウッドの音楽活動は今も続いており、今後近いうちにライヴアルバムや新作のリリースも期待できそうだ。

STEVE WINWOOD
STEVE WINWOOD
ROCK N' ROLL HALL OF FAME
STEVE WINWOOD
S.WINWOOD / J.NETO / W.REYES
ABOUT TIME
ABOUT TIME