ジンジャー・ベイカー
Ginger Baker
ジンジャー・ベイカーは1939年8月、ロンドンのルイシャムで誕生。本名はピーター・エドワード・ベイカーで、ジンジャーのニックネームは彼の赤茶色の髪に由来している。ベイカーは50年代からジャズバンドのドラマーとして活動、その後アレクシス・コーナーのブルーズ・インコーポレイテッドを経て、グラハム・ボンド・オーガナイゼイションを結成した。
66年にはエリック・クラプトン、ジャック・ブルースとクリームを結成。バンドは圧倒的な人気を獲得し、ベイカーはロック史上における初のスーパースター的存在のドラマーとして活躍した。迫力ある自由奔放なドラミングスタイルは、ロックドラマーたちに多大な影響を与えた。
クリーム解散後、スティーヴ・ウィンウッドとの初共演となるブラインド・フェイスでの短い活動期間を経て、70年にエアフォースを結成、アフロジャズ的なアプローチによる2枚のアルバムをリリースした(最初の1枚にスティーヴ参加)。その後、念願のアフリカ音楽に専念するためナイジェリアに渡り、現地で西アフリカ初の最新式レコーディングスタジオを建築、初のソロ名義のアルバム "Stratavarious" やフェラ・ランサム・クティとの共演盤 "The Africa '70" などを制作した。
74年にはポール&エイドリアン・ガーヴィッツ兄弟とベイカー・ガーヴィッツ・アーミーバンドを結成、シンプルなロックサウンドに回帰し3枚のアルバムをリリースした。その後ホークウィンドでの活動を経て、87年には4人のアフリカ人パーカッショニストとドイツのジャズミュージシャンを起用し、アフリカ音楽と西洋音楽を融合させた力作ライヴ盤 "African Force" を発表した。
90年代に入るとヨナス・エルボーグ、ヤンス・ヨハンスンと組み、アコースティック楽器によるインストルメンタル盤 "Unseen Rain" を制作、それからビル・フリーデン、チャーリー・ヘイデンを起用しジャズロック路線を追究した "Going Back Home"、ジャズトランペッターのロン・マイルズとの共演盤 "Coward Of The Country" などをリリースしている。
リック・グレッチ
Rick Grech
リック・グレッチは1946年11月にフランスのボルドーで誕生。65年にファミリーの前身ファリナスのメンバーとしてプロデビューした。ファミリーはヴォーカリストのロジャー・チャップマンを中心としたバンドで、グレッチはベースとヴァイオリンを担当、初期2枚の名作 "Music in a Doll's House" と "Family Entertainment" に携わっている。69年にはブラインド・フェイスのベーシストに抜擢されるが、数ヶ月の活動期間の後に解散。グレッチはその後ジンジャー・ベイカーのエアフォースに参加、さらにトラフィックのメンバーに加わった。
トラフィック脱退後はクリケッツやアルバート・リーと共演したり、グラハム・ボンドやジム・キャパルディらのセッションに参加した。さらに70年代中盤にマイク・ブルームフィールド、レイ・ケネディと共にスーパーグループKGBを結成したが、ドラッグによる身体への影響もあって、大きな成功を収めることはできなかった。
音楽業界から身を引いた後、英国のレスターでカーペットの販売業を営んでいたが、90年に肝臓疾患と脳内出血のために43歳の若さでこの世を去った。ソロアルバムはないが、ブラインド・フェイスの独CDリイシュー盤には、彼のソロ用に録音されたという2曲が追加収録されている。またグレッチが関係した曲を集めたオムニバス "The Last Five Years" も組まれている。
ツトム・ヤマシタ
Stomu Yamashta
日本人パーカッショニスト兼作曲家のツトム・ヤマシタは、1947年に京都で誕生。クラシックや現代音楽、ジャズ、フュージョンなど様々なジャンルにおいて世界を舞台に活躍している。幼少の頃から音楽的才能を発揮し17歳で渡米。クラシックやジャズなどを学びながら打楽器奏者としても活躍し、タイム紙により「打楽器のイメージを変えた人」と評された。
さらにシカゴ交響楽団やベルリンフィルなどの著名なオーケストラとの共演や、武満徹とのコラボレーションによる打楽器のための作品の創作などにより、若くして巨匠の地位を築き上げた。72年には演劇と音楽を融合した芸術団体レッド・ブッダ・シアターを組織して、舞台音楽作品 "The Man From The East" を発表。デヴィッド・ボウイ主演映画 "The Man Who Fell To Earth" のサントラをはじめ、映画音楽の作曲も数多く手掛けている。
そんなヤマシタの才能がロックと見事に結実したのが、76年にスティーヴ・ウィンウッド、マイケル・シュリーヴ、クラウス・シュルツらと組んだユニット。彼らと共にGOというコンセプトのもと、スペースオペラ風の名作 "Go" とライヴ盤の "Go-Live From Paris" 、そしてメンバー交代を経て "Goo-Too" の3作品をリリースしている( "Goo-Too" にはスティーヴは不参加)。
80年代以降は佐藤純弥監督映画「空海」のサントラ盤や、GOで共演したポール・バックマスターがアレンジを担当した秀作アルバム "Sea And Sky" の制作、石の楽器サヌカイトによる音楽や仏教音楽の探究など、現在でも精力的かつ幅広い音楽活動を続けている。
ヴィヴィアン・スタンシャル
Vivian Stanshall
ヴィヴィアン・スタンシャルは1943年3月、イーストロンドンで誕生した。62年頃アートスクールの仲間だったロドニー・スレイターらとボンゾ・ドッグ・バンドを結成した。その後ニール・イニスやレッグス・ラリー・スミスなどを加え、ダダイズムやヴォードヴィル、ジャズなどを融合したユニークなサウンドを創造し、67年にデビュー盤 "Gorilla" を発表。代表作 "Keynsham" など5枚のアルバムをリリースした(3枚組のボックスセット "Cornology" にシングルなどを加えた全曲収録)。
70年にスタンシャルはソロとしての活動を開始、エリック・クラプトンやキース・ムーンのバックアップで数枚のシングルを制作したが不発に終わり、酒とドラッグへの依存度がしだいに高まっていった。ソロアルバムとしては74年の "Men Opening Umbrellas Ahead" をはじめ全部で4枚をリリースしたが、その独特の感性から生み出される作品は一般的な理解を得ることはなかった。
しかしその類い希なる才能を高く評価していたスティーヴ・ウィンウッドは、スタンシャルのソロ作品の多くに協力するとともに、彼の詩を取り上げた曲を自らのアルバムに収録している。スタンシャルは95年に自宅の火災により死去、葬儀でスティーヴは彼に歌を捧げた。
スティーヴ・ウィンウッドとの共作曲
Dream Gerrard (Include in "When The Eagle Flies")
Vacant Chair (Include in "Steve Winwood")
Arc Of A Diver (Include in "Arc Of A Diver")
My Love's Leavin' (Include in "Back In The High Life")